はじめに
どうも紅鍵です。久しぶりのブログ、映画すずめの戸締りの感想です。自分は大学1回生の頃見た天気の子に感銘を受けて3回くらいは劇場に足を運びました。当時も感想記事を書こうと思ってましたが、色々やってるうちにお蔵入りに。映画は内容とともに最初の印象忘れてしまいがちなので難しいですが、今回はそのリベンジも含まれています。多分にネタバレ※が含まれますので、未視聴の方はぜひ劇場に足を運んでみてください。
※ネタバレというより見てないと何言ってるかわかんない感じになっちゃったかなと思います。
あらすじ
引用元:映画『すずめの戸締り』公式サイト
引用元URL:https://suzume-tojimari-movie.jp/
感想
1.この映画の怖さについて
この映画を見てまず思ったのは「怖い」ということだ。本作では「後ろ戸」から出てくる"ミミズ"が地震などの災厄を振りまくのだが、これがより『視覚的』に人の恐怖を煽るような演出になっていると感じた。またミミズが落ちる直前に連動して緊急地震速報のアラートが鳴るため、聴覚的にも危機を感じさせる。特に神戸での遊園地の観覧車の後ろ戸からのミミズ発生は阪神淡路大震災を連想させ、自分でも見ていてかなり恐怖を感じて見ていた。本作は東日本大震災をはじめとして日本で起きた震災を間接的にではなくより直接的にテーマにした作品なだけあり、それを連想させるシーンがあった。
映画『#すずめの戸締まり』
— 映画『すずめの戸締まり』公式 (@suzume_tojimari) 2022年10月22日
ご鑑賞予定の皆様へ pic.twitter.com/KVfAk6s2aw
このような注意書きが出されるほどである。本当に嫌な気持ちになる人やトラウマを発症する人もいるだろうという作りである。
神戸の次に訪れる東京では、要石が抜けてしまったことで空を覆うほどのミミズが出てきて、ダイジンが「人がたくさん死ぬよ」と言っており「このまま落ちるの!?!?!?」とひやひやしながら見ていた。前作の天気の子と代わって雨ではなく、本当の意味でのカタストロフが起きる怖さだった。
映像を前にしてここまで恐怖を感じる後ろ戸、そしてそこから出てくるミミズだが、それになぜたまたま閉じ師である草太と出会っただけの鈴芽が立ち向かっていけるのかというのが、彼女自身が東日本大震災を直接経験してるがゆえというのが非常に説得力のある設定だと感じた。
また、震災がテーマなことから、九州から物語が始まり東北宮城へ向かっていくことに必然性が感じられるものになっていた(とはいえスマホオンリーでずんどこずんどこ進んでいくのはパワーありまくりですが)
2.「場所」を悼む物語、そして
最初にあったのは「場所を悼む」物語にしたいということでした。かつて栄えていた場所や街が、人が減って寂れていったり、災害で風景が失われてしまったり。最近そういう場所が日本中に増えているなという実感はあったんですよ。そういう「場所」を悼んだり鎮魂したりする物語ができないかとイメージしたとき、自ずと出てきた作品舞台が、人のいなくなった寂しい場所、つまり、廃墟だったんです。そしてその出入り口ということで、扉がいいんじゃないか、というのが起点でした。
引用元:すずめの戸締りパンフレット(新海誠インタビューより)
この物語に出てくる「後ろ戸」を閉じるには「そこにいる人々の声を聴いて閉じるんだ」(うろ覚えセリフ)とあり、この物語は鈴芽と草太が各地を悼み、鎮魂していく側面がある。震災が主のテーマでありながら、決してそれだけではなく、日本各地に増えつつあるそういう寂れた場所の様々な人々のそこにあった想いとともに悼んでいると感じた。神戸のシーンもミミズからは大震災を連想させるが、一方で後ろ戸になっている廃遊園地の観覧車はそれだけではないもの悲しさを連想させる。鈴芽の住んでいる町も過疎の町と表記されており(出典:新海誠本、「すずめの戸締り」企画書前文の抜粋より)、そういった場所が増えつつあるというには新海誠の実感であるが、自分の人生も思い返すと、自分自身が過疎の末期にあるもともと"村"だった地域で生まれ育ったため、連想するものも多くあり、またそういう寂れた場所のもの悲しさを肌で感じながら過ごしていたため、非常に共鳴する部分が多い。そして場所を悼むで連想したのは、自分の小学校が小学校と中学校が統合されるときに取り壊されたことを思い出した。それが自分が高校入学後の出来事なので、その場所が今どのような姿になっているのかを全く見ていないなということを思い出していた。自分自身にもそういう場所があるなと気づいたので、もし地元に帰って見に行ける機会があれば自分の目に入れたいと思った。
繰り返しになるが「そこにいる人々の声を聴いて閉じる」と、場所を悼むと同時にそこで過ごした人々の想いも同時に悼んでいる側面がある。その最たる部分であるクライマックスの宮城の鈴芽の実家の後ろ戸を閉める際に(ちょいうろ覚えなので2回目見れたらどのシーンか明確にします)、そこの人々に想いを馳せた瞬間「いってきます」と人々が家を出るシーンがあるが、「あの日」、東日本大震災があったときその「いってきます」を最後に聞いた言葉だった人がどれだけいたかということに自分が想いを馳せていて気付いたら泣いていた。あんまりしないタイプの涙というか感動だったので、この一コマで「君の名は。天気の子と作ってきて、まだここまでの作品ができるのか」と感動しつつ、とても嬉しい気持ちになった。
3.自分で自分を救う物語
新海誠氏は今作を12年間生きてきた鈴芽が自分を救う物語であることを語っている(すずめの戸締りパンフレット インタビューより)。君の名は。も天気の子も救ってくれる誰かがいる、逆にいえば誰かを救う話になっている(いまだに君の名は。いまだに見れてないから合ってるかは知らんけど)。本作では鈴芽がダイジンに椅子に変えられ、そして要石に変えられた草太を救うという点では共通しているが、一方で4歳の鈴芽を16歳になった鈴芽自身が救う話でもある。この記事ではあまり触れていない鈴芽の叔母の環などの支えももちろん重要であるが、鈴芽自身が生きてきた12年間という月日そのものがあの日の鈴芽を救うことにつながっていた。本作冒頭の鈴芽の夢のシーンでは鈴芽に椅子を渡していたのは「お母さんかな?」とか予想していたが、「常世」(すべての時間が存在する場所、死者がいる場所?)で4歳の鈴芽と16歳の鈴芽が出会うというものだった。そこで4歳の唯一の肉親である母を失ってすぐの鈴芽にかける言葉を迷う16歳の鈴芽だが、「あなたはちゃんと大きくなる」「大人になる」「私は未来の自分」(例によってセリフはうろなのでご了承)と答えており、パンフを読んで「12年間生きてきた時間そのものが鈴芽を救う」ということがちゃんと表現されているんだなと感じた。
天気の子の最後の方のシーンで帆高が陽菜に「自分のために願って」というセリフがあったが、本作は後ろ戸を閉じていく中で場所、そこにいた人々の想い、また災厄からその土地に今生きる人々、そして最後に草太も鈴芽自身もすべてが救われており、本当にすべて手放さない物語(出典:パンフか新海誠本のどっちかに記載されていたはず)になっていた。天気の子が好きな人は本作は向かないみたいなツイートも目にしたが、自分としては作品の飛躍というか進化みたいなのを感じたので非常に満足のいく作品だった。
4.その他雑多に感想
ここからは雑多に感想タイム。映画を見ている時、草太の声がどうしても小野賢章の声で聞こえてて、「なんとかしてみせる!」みたいなセリフでとてもマフティーみを感じていた(なんとでもなるはずだ!)でもちゃんと声優以外の人からのキャスティングでした()
また要石だったダイジンは、実はもともと人間で~みたいな話になるかなと思ったけど、それをやると天気の子に寄ってしまうのかなと思った。
あと、東京上空にミミズが渦巻いてるシーンで落ちないか心配する一方で、「落ちろ!落ちろ!」と思っている自分もいてそういうカタストロフを望む暴力的な自分の側面を見ました()
それからこの作品は本当に悪い人出てこないな~って思ってました(神はともかく)特に鈴芽の行く先々で出会う人々の肝っ玉座りすぎてて、良いな~って感じるし、人情味を感じてました。
おわりに
以上簡単ではありますが、すずめの戸締り感想記事でした。ちゃんとした映画の感想記事は今回が初めて(復コアから目をそらしつつ)でしたが、めちゃくちゃ引用に頼りつつ自分なりに感じた部分を吐き出せたかなと思います。また2回目くらいはぎりぎり見れるかな~って感じなので、見たらまた書き足そうかなって感じです。
感想書いてて改めて本作品は本当に自分に必要な栄養みたいなのが詰まっていたなと思います。映画見ててこういう瞬間が最高に気持ちいいので、それを二度見せてくれた新海誠作品、次回作もしっかり見ようって気持ちになりましたね!
次はナナシスのライブレポ書こうかな。
それではまたあした!
〇参考文献
・すずめの戸締り パンフレット
・新海誠本